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  • ナパワインの歴史 〜黎明期から成長期〜

History of Napa Wine

ナパの歴史に数々のドラマあり

知るほどにナパワインの魅力が増す。

黎明期から成長期
1850年代〜1920年代

フランス、イタリア、ドイツ…
紀元前の頃よりワイン造りが行われてきたヨーロッパの国々を、ワインの世界では『旧世界』と呼びます。
対して、大航海時代以降にワイン造りの文化が広まった国は『新世界』と称され、
アメリカやチリ、オーストラリアなどがそれにあたります。

『新世界』であるナパ・ヴァレーでワイン造りが始まったのは1839年のこと。
今からおよそ200年程前のことに過ぎません。

数千年に及ぶ青史を持つ旧世界に比べれば、ナパワインの歴史はまだまだスタートしたばかり。
積み重ねた時間においては旧世界にかなうはずもありませんが、
ナパの歴史には年月の短さに反して数々のドラマがあり、
物語として申し分のない面白さ
を含んでいます。

時に厳しく、時に輝かしく。
どんな道を辿り、銘醸ワインの産地と呼ばれるまでになったのか、その歴史を振り返ってみましょう。

ワイン大国ヨーロッパからの移民
- 黎明期 -

1849年〜

降り注ぐ太陽と美しい海岸が印象的なカリフォルニア。
今でこそアメリカ最大の人口を抱える大都市となりましたが、ナパ・ヴァレーでワイン造りが始まったとされる1838年当初は、まだ州にもなっていない小さな町でした。

カリフォルニアに大きな転機が訪れたのは1849年。
ジェームズ・マーシャルという人がサッターズミルで金を発見したことを機に起こった、かの有名な”ゴールドラッシュ”がカリフォルニアでも始まります。

ゴールドラッシュは、メキシコの一部で人口200人程の開拓地に過ぎなかった北カリフォルニアの町を一変させました。一攫千金の夢を求めて何千という人が入植してきたのです。

1850年、カリフォルニアがメキシコから独立しナパ郡が成立すると、次第にナパにも先駆者や探鉱者、起業家といった多くの人が移り住むようになり、ナパの街は発展を見せ始めます。

ゴールドラッシュの鉱夫たち

[ゴールドラッシュの鉱夫たち]
提供:Napa Valley Vintners

ゴールドラッシュで入植した人々

ゴールドラッシュを境に入ってきた定住者の多くが、旧世界のワイン産地からの移民でした。

ナパのブドウ栽培は、開祖といわれるジョージ・カルヴァート・ヨーントの手によって、ゴールドラッシュの10年程前に既に始まっていましたが、こうした移民者の中にも果実の栽培を行う人がおり、ナパのブドウ栽培は本格的に動き出します。

もし、ワイン文化を持つ旧世界の移民者が少なかったら、ナパワインの歴史も今とは違うものになっていたのかもしれません。

活況を浴びるワイン産業
- 成長期 -

交通網の発達は、いつの時代も様々なことに大きな影響をもたらすものです。
都市として発展し始めたナパも鉄道の開通により、また一つ分岐点を迎えます。

交通網の発達がもたらした広がり

1860年〜

ナパの北部に位置するカリストガが観光地として人気を博したことを受け、1868年にセントラル・パシフィック鉄道が乗り入れ路線を完成させると、ナパには裕福な観光客が訪れるようになります。また、その翌年には大陸横断鉄道も開通。ナパのワインはサンフランシスコへと大量に出荷されるようになり、販売顧客や流通経路が大きく広がりました。

さらに、交通網の発達はナパワインをニューヨークにも運んでいきます。やがてニューヨークを通じて輸出が始まると、ヨーロッパで一定の評価を得ることにも成功しました。

一方、交通インフラがナパワインの拡大に貢献を見せるのと時を同じくして、ワイン造りの現場にもイノベーションが起こります。

イングルヌック

[1869年のアメリカの路線図]
"Transcontinental Railroad of 1869" History on the Net
© 2000-2022, Salem Media. August 27, 2022
More Citation Information.

ヨーロッパからきた移民の中に、祖国のワインに対抗できるワイン造りに挑戦しようとする人たちが現れるのです。

1861年にチャールズ・クリュッグが ナパ・ヴァレーに最初の商業用ワイナリーを設立すると、シュラムスバーグ(1862年)、ベリンジャー(1876年)、イングルヌック(1879年)と、次々にワイナリーが設立され、1889年にはその数140を超えるまでに至りました。

約30年で成し得たワイナリー推進。その成長ぶりには感嘆の声しか上がりません。

イングルヌック

[1879年設立のイングルヌック]
提供:Napa Valley Vintners

フィロキセラによる旧世界ワインのダメージ

1963年〜

次々とワイナリーが設立され、ナパのワイン産業が活況を浴びていた頃、ヨーロッパではブドウの樹液を吸ってブドウの樹を枯らしてしまうフィロキセラという害虫が猛威を振るっていました。

1963年にフランスで最初の被害が報告されると、ヨーロッパは1970年代までにブドウ畑の40%を消失させる被害に見舞われます。

しかし、このことでナパは再び大きな転機を迎えます。
フィロキセラによってワイン生産が激減したヨーロッパに向けてカリフォルニアワインの輸出量が増大ナパはワイン産地として注目されるようになり、旧世界に代わる質の高いワイン作りへと邁進することになったのです。

フィロキセラ

[フィロキセラの被害を受けたブドウの葉]

改めてナパワインの創成期を振り返ると、要所要所で旧世界との接点が見られます。
アメリカのワイン産地の中でも、ナパ・ヴァレーが特別なポジションを手にすることが出来たのは、こうした背景も理由の一つだったのかもしれません。

さて、順調にワイン道を突き進んでいくナパですが、この後一体どのような展開を見せるのでしょう?
この続きは次回、ご紹介したいと思います!

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